大判例

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札幌地方裁判所 昭和36年(わ)17号 判決

被告人 根本仁

昭一三・八・一生 学生(全学連副委員長)

主文

被告人を罰金一万円に処する。

右罰金を完納することができないときは金二〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は北海道学芸大学札幌分校の学生にして、当時北海道学生自治会連合の委員長であつたものであるが、同人を含む右連合所属の学生等約一〇〇名が社会党浅沼委員長殺害事件は池田内閣や警察側に責任ありとしてこれに抗議すべく北海道公安委員会の許可を受けず、昭和三五年一〇月一三日午後二時七分頃より同二時三四分頃までの間札幌市大通り西六丁目広場に集合し右抗議のため集会を行ない、次いで同日午後二時三五分頃右広場を発進し行進に移り、同日午後三時五五分頃まで同市内の西六丁目通り、狸小路五丁目、四丁目通り、西四丁目通り、北一条通り、西五丁目通り、北二条通り、狸小路三丁目、二丁目通りを経て南三条西一丁目大谷会館前に至る道路上を集団行進及び集団示威運動を行つた際

一、右集会において司会者として「我々学生は安保斗争には先頭で斗つた。また一般労働者、文化人、それから一般市民も一緒になつて戦つた。それに対し池田内閣はますます弾圧を加えて来る。右翼のために浅沼社会党委員長が殺された。これは池田内閣の責任であり、この手先である警察の責任でもある。われわれ学生はこれからますますかたい団結をもつて右翼テロの責任者である内閣を打倒し警察幹部の責任を追求しなければならない」旨演説し、

二、前記行進に先立ち、前記集団に対し「池田内閣打倒のため自民党道連に抗議をかけ、責任者の謝罪を要求し、その後中央署にも抗議して警察の責任を追及しなければならない」などと申し向け、行進の際の隊列を指示し、右集団の先頭に位置し、笛を吹き、手招きする方法等により前記集団行進及び蛇行進等を誘導し、且つ同市大通り西六丁目六番地所在自由民主党北海道支部連合会事務所前においては「自民党は右翼と手を切れ、池田内閣やめろ」等と叫び其の他路上数ヶ所において行つた「池田内閣打倒」「人殺し内閣打倒」「警察幹部を罷免せよ」などの呼号の音頭をとり、また札幌中央署前においては「我々は直接署長に会つて抗議するため全員で中に入るのだ」と叫び同署玄関前階段を駈け上がるなどし

もつて前記集会、集団行進及び集団示威運動を指導したものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の所為は札幌市集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(昭和二五年札幌市条例第四九号)第五条第一条に該当するところ所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で被告人を罰金一万円に処し右罰金を完納することができないときは刑法第一八条により金二〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項により全部被告人の負担とする。

(弁護人の主張に対する判断)

(一)  弁護人は本条例は日本国憲法第二一条に違反すると主張するのでこの点につき検討するに、そもそも憲法第二一条の規定する集会結社及び言論出版その他一切の表現の自由が侵すことのできない永久の権利すなわち基本的人権に属しその完全なる保障が民主主義の基本原則の一つであることは多言を要しない。しかし国民がこの種の自由を濫用することを得ず、つねに公共の福祉のためにこれを利用する責任を負うことも他の基本的人権とことなるところはない。この故に日本国憲法の下において、裁判所は個々の具体的事件に関し、表現の自由を擁護するとともに、その濫用を防止し、これと公共の福祉との調和をはかり自由と公共の福祉との間に正当な限界を劃することを任務としていると云うべきである。本条例が憲法に適合するか否かの問題も結局本条例によつて憲法の保障する表現の自由が憲法の定める濫用禁止と公共の福祉の保持を越えて不当に制限されているかどうかの判断に帰着するのである。この点に関する当裁判所の判断は昭和三五年七月二〇日最高裁判所大法廷判決(昭和二五年東京都条例第四四号違反被告事件、昭和二五年広島市条例第三二号違反被告事件)に示された判断と同一であつて、要するに本条例の対象とする集団行動とくに集団示威運動は、本来平穏に秩序を重んじてなさるべき純粋なる表現の自由の範囲を逸脱し静ひつを乱し、暴力に発展する危険性のある物理的力を内包しているものであり、従つてこれに関するある程度の法的規制は必要でないとはいえない。国家社会は表現の自由を最大限に尊重しなければならないこと勿論であるが、表現の自由を口実にして、集団行動により平和と秩序を破壊するような行動またはさような傾向を帯びた行動を事前に予知し、不慮の事態に備え適切な措置を講じ得るようにすることはけだし止むを得ないものと認めなければならない。もつとも本条例といえどもその運用にあたる公安委員会が権限を濫用し、公共の安寧の保持を口実にして、平穏で秩序ある集団行動まで抑圧することのないよう極力戒心すべきこと勿論である。しかし濫用の虞があり得るからと云つて本条例を違憲とすることは失当である。

(二)  憲法第九四条には法律の範囲内で地方公共団体は条例を制定することができるという趣旨の規定があり、地方自治法第一四条では普通地方公共団体は法令に違反しない限りにおいて同法第二条第二項の事務に関し条例を制定することができると規定されている。この地方公共団体がその固有の事務として条例をもつて規制し得るものは、憲法の体系から考えると当然基本的人権に関係のないいわゆる行政事務に限られ、集会、集団行進及び集団示威運動の如く国民の多数が政治的な見解を表現するような基本的人権の規制は含まないと見るべきであり、単なる一地方公共団体が行政事務としてかゝる基本的人権を規制することは憲法に違反すると主張するので、この点につき判断するに、なるほど弁護人の主張の如く地方自治法第一四条第一項には同法第二条第二項の事務に関し条例を制定することができると規定されており、本条例がこの規定にもとずき規定された条例であることは明かであるので、同法第二条第二項の「事務」とは単なる行政事務に限られるか、それともある程度基本的人権に関係のある事項まで含まれるかの解釈問題となる。そこで先ず同法の条文を検討するに、その事務の範囲については同法第二条第二項第三項には広く公共事務を含み、その例示として「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること」を掲げているので、地方自治法の存立を論ずるは別として其の余の点を判断するまでもなく、法律又はこれに基く政令に特別の定めがない限り或る程度の基本的人権を条例を以て規制することは憲法に違反しないと云わねばならない。

(三)  本条例第一条は公安委員会の許可を受けない集会集団行進及び集団示威運動を違法としているのであつて、その不作為をせん動、指導したものゝ刑事責任を求めることは格別右不作為によつて右集団自体が違法性を帯び犯罪者集団となるのではないから、その集団行動を指導したことを罰すべきとした同条例第五条は刑法の根本理念である罪刑法定主義と相容れず無効であると主張するが、同条例第一条は同条所定の集会集団行進及び集団示威運動を行なおうとするときは公安委員会の許可を受けなければならないと一般的に規定しており、右許可を受けないで行なわれる右集会、集団行進及び集団示威運動を禁止する趣旨を含んでいることは明白であるから、前記許可を受けていなかつたということによつて、当該集会、集団行進及び集団示威運動は違法性を帯びるものというべく、従つて同条例第五条がかくの如き許可を受けない集団行動であることを認識してこれを指導したものを処罰の対象としても決して刑法の根本理念に反するものと云うことはできない。

(四)  浅沼社会党委員長刺殺事件の発生は自由民主党政府の責任であるのに止まらず、国政府が右委員長を殺害したのに等しく、これは民主々義と憲法に違背するので、これに対する抗議のため自然発生的に行つた本件行為は、いわゆる正当なる抵抗権の発動として違法性がない旨の超法規的違法阻却事由を主張しているが、抵抗権とは一般に法的手段を通じては除去することのできない極端な不法に対する最後に残された自然法上の権利であると共にその本質的性格は基本的人権の主張であり、政治的権利の主張であると云はれている。国家権力の乱用による法の侵害権利の侵害に対する抵抗権の行使は現代における国民の権利であるとゝもに義務でもある。だが、いかなる場合にいかなる形で抵抗権を行使すべきかについては困難な問題が残るであろう。又抵抗権の行使には常に危険性を内在している。即ちその行使は現在の権力者の支配に対する実力による抵抗であるからその本質上秩序に対する危険を意味する。日本国憲法のもとで抵抗権はいかに考えられるであろうか、日本国憲法は抵抗権については何らの規定を設けていない。しかし日本国憲法は自然法思想による基本的人権をその本質的構造部分としているのであるから抵抗権を内在せしめているといつてよい。然しながら前記の如く危険性を内在する抵抗権の行使には厳格なる制限が付されなければならない。即ち先ず憲法の各条規の単なる違反ではなく民主々義の基本秩序に対する重大なる侵害が行われ憲法の存在自体が否認されようとする場合であり、又不法であることが客観的に明白でなければならない。各人の主観的立場のみにより判断されると各人はそれぞれ異なる世界観をもつているから結局無政府状態に堕すことゝなる。客観的にして、国民の集団的英知により初めて抵抗権の行使は合法的たり得る。更に又憲法法律等により定められた一切の法的救済手段がもはや有効に目的を達する見込がなく、法秩序の再建のための最後の手段として抵抗のみが残されていることが必要であると云わねばならぬ。翻つて本件を見るに被告人等を含む当時の学生達の目には当時の社会情勢というものが明白且つ急迫した危険と映り、憲法の存立自体が危殆に頻し、実力による抵抗のみが許された最後の手段であると考えたとしてもそれは彼等の主観的独断であつて他の法的救済手段をも考慮するとき抵抗権行使の合法的基礎にはなり得ない。軽々に抵抗権の行使を是認することは実力対実力の斗争を是認することであつて法秩序は破壊され民主々義は根底よりその存立の基礎を失うであろう。従つて弁護人の抵抗権に関する超法規的違法阻却事由の主張は到底これを採用できない。

(情状)

被告人は北海道学芸大学札幌分校の国語科四年に在学中の学生にして学生団体の役員として学生運動に熱中していたものであるが、本件の量刑につき按ずるに本件は昭和三五年一〇月一二日浅沼社会党委員長刺殺というシヨツキングな事件に直面して感受性の強い学生諸君の行動として見るとき、又被告人の指導した本件集団行動を従来の学生団体の集団行動と比較してこれを見るとき特に悪質な違法行為があつたとは認められないこと、更に前掲の最高裁判所の合憲判断に見るごとくこの種条例の運用は特に慎重を期すべきであり、北海道公安委員会も昭和三五年一月より同年一二月までの間における本条例に関する許可申請に対しては七二時間と云う制限時間を経過したものに対してもすべて許可を与えているのである。かゝる現状を考慮するとき、表現の自由を口実に集団行動により平和と秩序を破壊するような行動を事前に予知し、不慮の事態に備えて適切なる措置を講じ得る情勢も必要もなき本件犯行当時においては許可或いは不許可の集団行動は単なる手続の問題にすぎず、国民の基本的人権に重大なる影響を持つ本件条例の運用並びに処罰については公安委員会はもとより取締当局も裁判所も慎重を帰すべきは当然と云わねばならない。徒らに厳罰を以て臨むことはその濫用の面において憲法違反のそしりをまぬがれないであろう。検察官は被告人が本件犯行前より現在まで学生団体の委員長として指導的地位にあり、一連の法秩序無視の態度と併せ考えるとき、健全な法秩序の精神に照らしきびしく批難されなければならないとし、自懲他戒の見地、殊に本件条例の実効性を確保するため被告人に対し懲役五月を主張するが、当裁判所は以上の見地より被告人に対し罰金刑を課するを相当と思料する。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 神崎敬直)

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